されど買う

何を買うか。。それが問題だ(真剣)

最近は、何を買うか、それが問題だ(真剣)だと思っている。もはや私のテーマ。

もう人生、無駄遣いを連続してきた。お金をつかって買い物をする時に時として、投げやりになって、えい!と買ってしまう行動も何度となくしてきた。

買い物でストレスを発散ということも、リアルな店舗でも、アマゾンでもよくやってきた。店にいける時間がなければ、夜な夜なアマゾンを見て、あ!これも欲しいかも!とか、2点購入なら、いっそ5点くらい購入してみたいとか購入点数を増やして、買いたいもの探しをしたり。ほんとにアマゾンの良いお客だったと思う。ちなみに今は楽天派。楽天商圏で過ごすようになりました。

さて、最近のテーマの、「何を買うか、それが問題だ」ですが、考えるようになったのは、それが、自分のものか、人へのプレゼントかの区分。そして、「誰にプレゼントをしようかな」と頭をよぎると、幸福感を持つことに気づいた。

そして、他にもこの人にもこの人にもプレゼントしたいなあと、浮かんでくる。そうすると、その後に他の店を見て回っていても、穏やな心持になれることにも気づいた。この年齢になってやっとこういう気持ちを持てるようになったことは、たぶん随分と遅いのだろうけども、気づけて良かったと思う。おそらくこれから先に人生は幸福度は上がったのでは。

自分のものを買い揃えても、購買行動や手にした時に、逆に落ち込んでしまったり、あまり幸福感を感じないでずっといた。今思うと、それが逆に次々の買い物ストレスを生んできたように思う。

もし自分のものを買ったら、その時に同時にか時同じくのような範囲で、誰かのプレゼントを買うのが良いというのも気がついた。今日は大阪梅田まで足を延ばしてショッピングをした。今日は数人のお友達のプレゼントを気づけば買っていた。そしたら、友達からのお誘いの連絡あり。そういう時には、思いがけない友達、知人から連絡が来て、会う約束が出来たりするのだなとも。

自分が気にいっているものに囲まれて生きていくだけじゃあ、あまりに味気ない人生であるということを最近をつくづく思う。自分がボロを着ていようが(これは言い過ぎかな、限度があるかな)自分の友人や周りの人への贈り物があれば、それは何百倍も何千倍も幸せであること。家族への贈り物は当然のことであろう。

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